近年の社会。
特に僕らが暮らしている日本では、
「誰かの為になる事をしなさい」という風潮が根強く浸透しているように思える。
この考え方自体は、とても素晴らしいことだ。
・誰かを幸せにしたり
・誰かを豊かにしたり
・誰かを喜ばせたり
・誰かを笑わせたり、泣かせたり。
人の為にする事は、自分も気分が良いし。もちろんお金だってついてくる。
まぁ、ある一定数の人たちはそれを「偽善」と呼ぶけれど。
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僕は「偽善」だとしても結局は「善」
良い事は良い。と思っている。
だから「誰かの為になる事をする」のは間違っていないと思っている。
ただ。
素直すぎるが故に、この言葉を信じすぎるのも良くない。
「誰かの為になる事をする」のは
一方では、間違いのない言葉だが
一方では、自らの行動範囲を狭める悪魔の言葉だ。
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「根強く・深く」浸透しているこの言葉によって
少なくない人たちは
自分のやりたい事だけしたらいけない
という一種の洗脳状態に陥っているはず。
(特に今はコロナの影響で洗脳しやすい環境が整ってるしね。)
これはあくまで僕自身の考えだけど。
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ただ僕は
約24年という短い人生で
自分の為にした事=誰かの為になる事
というのをつくづく思わされている。
例えば小学生から10年続けてきた野球。
ただ野球が好きで。ただ自分の為にやっていた野球だ。
両親に「たくさん良い思い出をありがとう」と言われ
全く知らない人に「感動したよありがとう」と言われ。
例えば大学から始めたダンス。
自分が勝手に興味を持って、勝手に始めたダンスだ。
色々な人の「刺激と活力」になり
時には音楽をかけてくれるDJが「喜んで」くれたり。
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もちろん、それよりも多く自分の為になる物を貰っていきたけど。
これには理由があるとも思ってて。
「自分の為になるような影響を与えられた人」
「よく人から良い影響を受けやすい人」
こういう人たちが自分の為にする事は、
「無意識に貰った物を返すようになる」
というものだ。根拠はない。感覚がそう言ってる。
数年前。
僕が信頼してる先輩であり、友達でもある人に
「他人に影響を与えられる人は、他人から影響を受けやすい人で。影響を受けたことが無いと、与えられないよ。与えられる人もおるけど。」
曖昧な記憶から引き出した言葉なので間違ってるかも知れんわ。
という風に言われたことがあって。
今回は「影響」を「人の為」に置き換えたというわけなんですわ。
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まぁコレは、結構真理だと思ってるんだよお。
みんながどう捉えるかは別としてね。
要するに
「自分がやりたい事やったら誰かの為になる」からやったら良いやんって事でして。
やってみてから「ならんやないかい!」ってなるか。
「本当になったやんかい!」ってなるか。確かめて欲しい訳ですよ。
このしょーもないブログだって、誰かの為になってるし。知らんけど。
久しぶりに真面目に書いてしまった。
最後にてきとーに書いたのバレなきゃ良いな。
おしり。

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