そうだ 実家、帰ろう。

どうも。いつもお世話になっております。べたです。

実は僕、この4日間の間に実家に帰っていました。

理由は、従妹の父親が亡くなってしまったこと。まだ42歳という若さで。

正直、聞いたときは意味が分からず。

すぐに荷物をまとめ、ほとんどない給料の2/3を使って実家に帰りました。

その時に僕が感じたこと。そこについて、今日はお話していこうと思います。

目次
  1. 僕は実家に帰りたいとは思わない。
  2. 急な死。
  3. 時は人を待たず。
  4. 僕がフリーランスになる意味

1.僕は実家に帰りたいとは思わない。

僕は実家に帰りたいとは思わない。

僕の実家は静岡県の三島市というところにある。

今住んでいる福岡県からは

新幹線で、片道5時間かつ2万円のお金がかかる。

学生の時はもちろん、社会人になった今でもなかなか帰ろうと思わない。

だって、“往復10時間・4万円” という時間のコストとお金のコストがかかるから。

手取りで約16万円の僕からすると苦でしかない。

しかも家に帰ってもすることがない。笑

高校までにできた数少ない友達も、北海道から沖縄まで全国の至る所に散らばっていて会うことすら難しい。

だから、実家に帰ろうと思わないのだ。

同じような境遇の人なら分かってくれるかもしれないし、実家に住んでる人からしたら理解できないかもしれないけど。

2.急な死

そんな中での出来事だった。

令和元年 5月30日

僕の従妹の父親が42歳という若さで亡くなった。

23年間生きていて、親族が亡くなるのは初めてだった。

本当はブログも更新する気も起きなかったし、こういうことを書くのすら躊躇していた。

でも、それについて書いていこうと思う。また明日の記事では「生きることについて」というテーマで新たに感じたことを書きます。

僕は昔から、他人の死に関しては無頓着だった。

むしろ、いつ死んでもいいし、自殺だって軽く考えていた。

「人に迷惑さえかけなければいい」

そう思って生きてきたからだ。

だけど今回の出来事で身をもって感じたことがある。

人はいつ死ぬのか誰も分からないこと。

残された人たちがどれだけ悲しむのかを見ることが出来ないこと。

時間は有限であること。

その他にも感じたことは沢山あるけど、でも特にこう感じた。

時間の話は

でも書いているので、もしよかったら読んでみて下さい。

とにかく僕は、残酷なことにも身内の死をもってこのような事に気づいたのである。

頭の中では分かっていたつもりだったことだ。

重々理解できていたつもりだったのに。

3.時は人を待たず。

お通夜とお葬式の時にお坊さんがこう唱えていたのがとても鮮明に残っている。

生死事大、無常迅速、時不待人、謹勿放逸

(しょうじじだい、むじょうしんそく、ときひとをまたず、つつしんでほういつなるなかれ)

人間にとって生と死は、人生上の重大な課題であるということで

この世のあらゆる事象はすべて無常に、そして迅速に変化していく。

要するに常なる物(永遠に存在するもの)はあり得ない。

時間は人を待ってくれない。

常に慎み深く、自らを律して、怠慢な心をいましめよ

という意味の説法だ。

まさにその通りだと、脳みそに直接言葉が降りかかってきたような感じだった。

時間は刻一刻と過ぎていて、僕もあなたも、僕の親もあなたの親も一歩ずつ死に近づいている。

こんな当たり前のことを、知ったつもりで過ごすことがどれだけ怖いことなのか

よく考えるきっかけになった。

4.僕がフリーランスになる意味

これについても以前の記事

で話していることだが、その中に一つ理由が付け加えられた。

それが、

「実家にいつでも帰れる状態でいる事」

僕の両親はまだ、46歳と若い。

若いからこそ、一緒にいれる時間を出来る限り自由に作りたいと思った。

だから、後付けではあるけど、僕の目標の一つとして

より明確な目標ができたわけである。

5.終わりに。

今回は、いつもと少し違うこのような記事を書いた。

やっぱり僕は思う。

自分が身をもって経験したことしか、理解はできない。

いつも読んでくださっているみなさんも、

この記事が、考えるきっかけになってくれればと心から思います。

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