どうも。いつもお世話になっております。べたです。
今日のテーマは「センス」について。
・人の「センス」に憧れる。
・自分には「センス」が無いと思っている。
上記に当てはまる人以外は読むことをオススメしません。(時間もったいないしね。)
実は「センスって磨けるんだぞ」ってことを物語風に綴りました。
お子様から大人まで楽しめる内容になっております。
どうぞ、ごゆっくり。
この記事で身につく事
- 「センスの原石」は誰にでもある事
- 「センス」を磨くのに年齢は関係ない事
- 「センスがいい」と「異才」は違う事
「センス」に対する憧れと嫉妬
昔々ある村に
なんでも出来ちゃう、「センス」の持ち主
−鈴木・センス・鈴木−

がおりました。(以下鈴木)
村の人々は
彼に憧れ、彼を慕い、彼に嫉妬していました。
なぜなら彼は、人一倍センスに溢れていたからです。
・商品や子供につけるネームング
・企画をするときに出すアイディア
・村を運営する能力
何をとっても、素晴らしいセンスの持ち主でした。
何人かの村人は
「でも名前ダサくね?」
と影でヒソヒソ話していましたが、そんなことを気にするような人間ではありませんでした。
。
。
。
そんな村に
彼に対して、とてつもない憧れを抱いてる少年−リスペクト飯田−

彼に対して、とんでもない嫉妬をしている少年−ジェラシー佐藤−

の彼に興味を抱いている2人の少年がいました。
ある日、2人の少年は
暇そうにしている鈴木を見つけると、反射的に話しかけてしまいました。
(いやなんで)

鈴木が答えるよりも前に、口をひらいたのは佐藤だった。

なんてったってセンスは生まれつきだからな。


鈴木は2人の言い争いをスマホで撮影しながら
「殴り合いとかしたらバズるかなぁ」
と心の底からワクワクして見ていました。
が、期待どうりにはいかずに、2人の言い争いは終わりました。
鈴木は動画を削除すると、不満そうな顔をしながら口を開きました。

リスペクト飯田の主張
・自分の「センス」を磨きたい。良くしたい。
・自分でも出来ると思っている。
ジェラシー佐藤の主張
・「センス」は生まれつきだからどうにもならない。
・最初から「センス」をどうこうすること自体ナンセンス。
2人は頷きました。
鈴木は続けます。

飯田は目をキラキラさせながら、大きな声で「どうすればいいの?」と言いたげな顔をしていました。
対する佐藤は「どうせ出来るやつが出来る、それだけだろ!簡単に言いやがって!!」と怒鳴り散らかしたような目で見ています。
鈴木は凄いので、どちらの意図も汲み取ってしまいました。

「センス」ってなんだ
鈴木「まず佐藤くん。君はどうしてセンスは生まれつきだと思うのかい?」
佐藤「それは大人を見ればわかるよ。だって才能のある大人以外は大体、自信なさそうだし、ハキハキしてないし、残業しても昇格すらしないもん!」
なるほどね、、、、
鈴木は続けて言いました。
多分だけど、その大人たちは
「センスとか言ってること自体が馬鹿馬鹿しい。そんなのあったら今頃もっと稼いでるわ。無い物ねだりなんかするもんじゃない。」
と思っているんだ。君みたいにね。
だから、諦めというか、どうでもいいんだよね。
でも、本当は違う。
僕だって最初から何でも出来たわけじゃない。
僕はこの村でネームングしたり、企画のアイディア出したりしてるけど
同じことを仕事にしている人だって他にも沢山いるだろ?
だけど、僕の案が多く採用されるから「センスがいい」と言われるだけなんだ。


鈴木は笑顔でそう言うと、話を続けます。
僕の案が人よりも採用されるのは、
僕が誰よりも知識を持っているからだ。
例えばアイディアだったら
・今までの歴史を振り返って、同じような状況でどんな方法を使って来たか。
・ほかの国ではどんな政策が打ち立てられていたのか。
・違う業種ではどうか?
こういった知識をつけてきたからなんだよ。
別に「生まれ持ったセンス」で閃きだけで出しているわけじゃない。
今まで学んできた知識を、組み合わせたり、切り取ったりしながら考えているだけなんだ。
まぁ、ごく稀に「生まれつきセンスのある」天才はいる。
だが、そんなものなくても、十分「センス」は磨けるんだ。
「嘘だ。。。」と佐藤は言いたそうな顔をしていると

とリスペクト飯田は言いました。
鈴木は「この生意気なガキには教えてやるもんか」
というオーラを放ちながらも、そこは大人な対応で親切に答えました。

センス=知識=歩み寄り
こういうことだよ。
「よくわからない!ちゃんと説明してよ!」
と言いたげな、2人の顔を見て、SSSは最後の気力を振りしぼって話し始めました。
センス=知識=歩み寄り

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簡単に礼をあげて説明しよう。
例えば学校の先生なんかをイメージしてもらいたい。
教え方が上手で、面白い、教育のセンスのある先生と
教え方は奇抜で斬新だけど、教えるのが上手くない先生がいるだろ?
この2人の先生の大きな違いはなんだろうか?
それは、生徒に歩み寄っているかどうかだ。
後者の先生は異彩を放っていて、好きな人は好きだけど
世間一般から見ると、よくわからない、センスがいいとは言えない先生だ。
しかし、前者の先生は違う。
他の先生とは違い、オリジナリティ溢れる面白い教え方をしているが、
生徒のこともしっかりと考えた上でやっているのだ。
ただ自分が話したいことを話しているだけじゃない。
生徒が興味のある話題や、好きなものをしっかりと調べて、それを織り交ぜながら授業をしているんだ。
更に教えなければいけない部分も、しっかりと把握しているから、分かりやすいし面白いと言われる。
そしてこの先生は、それが分かった上でしている。
生徒たちの求めているものに対する知識
教えなくてはならない場所に対する知識
これがしっかりとあり、そこに寄せているんだ。
だから、「あの先生の教え方ってセンスあるよね!」と言われるんだ。
これは他のこと全てに共通して言える。
・絵が上手くてセンスあると言われる人は、色の三原色とか、透視図法とか、そういった知識があった上で好きな絵を描くから上手いと言われる。
・面白いブログを書いていて、才能があると言われている人は、他の面白いブロガーを見まくって、「こういうのが面白いのか」という部分を勉強して、そこに歩み寄りながら自分の書きたいように書くから面白い。
・クラブでお客さんを盛り上げられるナイスなDJは、お客さんの層によって異なる人気の曲を見極めてかけたり、この曲は盛り上げる、この曲は落ち着かせるとかそういう知識を持った上で歩み寄っているんだ。
だから
センス=知識=歩み寄り
これをしっかりと理解する事が出来れば、君達だって、誰だって
人より突出したものがあるようになるし
人から「センスのある人」と言われるようになるだろう。
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そこまで言うと鈴木・センス・鈴木は、新たにバズりそうなネタを探しにどこかへ行ってしまった。
エピローグ
その後、2人の少年がどうなったのかは誰も知らない。
途中で面倒になって投げ出したのかもしれない。
信じ続けて成長したのかもしれない。
結果がどうであれ、彼らなりに頑張っているだろう。
人間とは聞いただけでは理解できない生き物だ。
理解した「つもり」になるだけだ。
実際に自らが経験した時に初めて「実感」するのだ。
このお話を最後まで読んでくれた方は果たしてどうなるのだろうか。
結果がどうであれ、自分なりに頑張って頂けたら、僕がブログを書いた2時間は報われるだろう。
べた。
※この物語を書くにあたって参考にした本
水野学 著 「センスは知識からはじまる」

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